東京高裁平成30年8月8日判決(判例タイムズ1455号61頁)

反訴被告の提出した私的鑑定書及び実験結果報告書の信用性を否定して、反訴原告が本件事故によって傷害を負ったことを認めた事例(確定)

【事案の概要】

(1)次の交通事故が発生した。
 ア 発生日時 平成28年8月16日午後3時20分頃
 イ 発生場所 省略(以下「本件交差点」という。)
 ウ 被控訴人(以下「反訴原告」という。)車両(以下「加害車両」という。) 普通乗用自動車
 エ 原審本訴事件相被告A(以下、単に「A」という。)車両(以下「被害車両」という。) 普通乗用自動車
 オ 事故態様 Aが運転し控訴人(以下「反訴原告」という。)が助手席に同乗していた被害車両が市道を北進し本件交差点に直進進入したところ、対向車線を南進してきた反訴原告の運転する加害車両が本件交差点に右折進入してきたことから、Aは右ハンドルを切りブレーキをかける回避措置(以下「本件回避措置」という。)をとり、衝突は回避された(以下「本件事故」という。ただし、非接触事故である。)

(2)原審では、当初、反訴被告がA及び反訴原告の両名を被告として債務不存在確認請求本訴事件を提起した。これに対し、反訴原告は、本件事故によって急激な負荷を受けて頚椎捻挫及び腰椎捻挫の傷害を負ったとして、反訴被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として43万3568円及び遅延損害金の支払いを求める反訴事件を提起した。そのため、本訴事件のうち反訴原告を被告とする部分は取り下げられた。
   原判決は、反訴原告の請求を棄却したことから、反訴原告がこれを不服として控訴した。なお、本訴事件のうちAに対する部分については、債務不存在確認請求を認容する原判決が確定している。

 【争点】
(1)判決文からは不明(注:事故態様と思われる。)
(2)反訴被告の過失
(3)反訴原告の受傷の有無
(4)反訴原告に生じた損害

【裁判所の判断】

(1)反訴被告の過失
   反訴被告は、加害車両を運転して本件交差点を右折しようとしていたのであるから、直進車の進行を妨害しないという義務を負うにもかかわらず、直進車である被害車両の進行を妨害して右折開始を実行したという過失がある(注:反訴原告の過失は、認定されていない。)。

(2)反訴原告の受傷の有無
 ア 反訴原告は、本件事故によって頚椎捻挫及び腰椎捻挫(いわゆるむち打ち症の比較的軽度のもの)の傷害を負ったものと認められる。

 イ これに対し、反訴被告は、本件回避措置によって加わる程度の数値の加速度で傷害が発生することはあり得ない旨主張する。そして、反訴被告提出に係る株式会社B鑑定事務所所属・B作成の鑑定書と題する文書(いわゆる私的鑑定書である。)及び実験結果報告書には、大要、以下の記載がある。
  a)「摩擦力は接触面に作用する垂直方向の力(垂直抗力)に比例し、接触面積には無関係」というクーロンの法則の下では、走行中の車両が、摩擦係数0.50~1.00の路面上でどのような激しい急旋回及び急制動をしても、その車両に加わる加速度は1.0Gを超えない。
  b)本件回避措置時に被害車両に生じた加速度(衝撃)の大きさを測定するために、同型車を用いて本件交差点において再現実験を実施した。実況見分調書記載の指示説明どおりの運転を再現すると、同型車に加わる最大加速度は、前後方向が0.40G、左右方向が0.53Gであった。実況見分調書記載の指示説明よりも急なハンドル・ブレーキ操作を行った場合でも、最大加速度は前後方向が0.83G、左右方向が0.61Gであった。
  c)人間が日常生活で一般に体験する加速度は、以下のとおりである。
  ・人の身体が動いていない状態で受ける加速度 1.0G
  ・遊園地のアトラクションに発生する加速度 3.50~5.26G
  ・エレベータの急停止時の減速による加速度 2.5
  ・地震体験車で体験する加速度 1.60G(水平方向)~2.01G(垂直方向)  
  d)結局、被害車両には本件回避措置によって日常生活で何ら異常ではない程度の加速度0.46G~0.53G(より急なハンドル・ブレーキ操作を施したとしても0.61G~0.83G)しか発生しなかった。また、理論的な最大値である1.0Gであったとしても、人間が日常生活で一般に体験する加速度と比較して高くはない値である。よって、本件においては被害車両の乗員に頚椎捻挫等の衝撃による傷害が発症する可能性は否定することが自動車工学的にみて合理的である。

 ウ 上記イ記載のB作成の鑑定書と題する文書及び実験結果報告書は、採用することができない。その理由は、次のとおりである。
  a)上記イのa)は、理論的な解析値としては誤りではない。
  b)上記イのb)の再現実験は、さほど重視することができない。車体に加わる加速度が1.0Gを超えないこと自体は、上記イのa)で解析済である。
  c)上記イのc)は、垂直方向に上から下に常時加わる1Gの重力加速度と、上記イの(c)に記載されている別の加速度(加わる方向も異なれば、普段は加わっておらず突然に加わるという点でも異なる。)とを、比較して考察している。
   しかし、このように単純に数値だけで比較することは、数値の比較として意味のないことである。突然、垂直方向以外の予期しない方向から加速度が加わると、たとえ0.2~0.5G程度の加速度であっても、人体が負傷する可能性には無視できない大きさがある。
   また、垂直方向以外の方向の加速度については、加速度がかかることが予告され(地震起動装置など)、かつ準備対策(アトラクションの安全装置など)がとられている場合と、予告もなければシートベルト以外の準備対策もない場合(本件事故)を単純に比較することも、意味のないことである。
   さらに、物体に加わる加速度は、物体が一個の剛体である場合と、そうでない場合とでも、物体に与える影響は異なる。剛体である車体の重心に加わった加速度を算出しても、車内の人体に与える影響は判断できない。すなわち、シートベルトで固定されていない頭部や左右の上肢、下肢は、胴体部分と関節などで連接されている物体にすぎない。胴体にかかった急激な加速度の変化によって、連接部分を中心に、頭部、上肢及び下肢にダメージを受けることは、容易に想定できる。
   とりわけ、頚部は、細く、ぜい弱な構造で成り立ち、決して軽いとはいえない頭部を支えている。このようなぜい弱な構造の頚部に偶然の要素が加わると(例えば、たまたま不安定な態勢であったところに予期せぬ加速度が予想外の方向にかかると)、負傷することもあるのが常識である。B作成の鑑定書と題する文書の記載は、負荷の加わる部位や態様に応じた人体のぜい弱性に目を配ることなく、単純に加速度の数値のみに着目して結論を導いている点で、採用できない。

 エ 以上に検討したところによれば、本件回避措置によって生じる程度の数値の加速度で傷害が発生することはあり得ないという加速度の数値のみに着目した経験則は存在しないから、この点に関する反訴被告の主張は採用することができない。

 オ B作成の鑑定書と題する文書は、現実の交通事故や人間の実生活において起こる出来事についての目配りや想像力が欠如し、文献上の数値や実社会と隔離された研究室の中で得られた数値を形式的に組み合わせただけの内容のものに過ぎない。B作成の鑑定書と題する文書は、いわば数字のマジックによって、読者を誤解に導き、裁判を混乱に陥れるものであって、鑑定書という表題を付するに値しない。B作成の鑑定書と題する文書及び実験結果報告書は、採用することができない。

(3)反訴原告に生じた損害
   本件事故によって、反訴原告の主張するとおりの損害合計43万3568円が反訴原告に生じたものと認められる。

(4)結論
   原判決を取り消した上、反訴原告の請求を全部認容する。