大阪高裁令和2年3月25日判決(労働判例1228号87頁)

退職後も担当業務に関して生じた損害につき弁済義務を負う旨の労使間の合意は、労働者の自由意思によるものとはいえず、公序良俗に反し、無効と判示した事例(確定)


【事案の概要】

(1)被控訴人(1審原告)は、不動産の売買及び賃貸等を主たる業務とする株式会社である。
   被控訴人は(1審被告)は、宅地建物取引主任者(現在の資格名は宅地建物取引士)の資格を有し、平成17年頃、被控訴人との間で、日給1万円(賞与なし)の賃金の支払を受けて、被控訴人の業務を行う旨の労働契約を締結し、被控訴人の業務を行っていた。

(2)被控訴人は、平成18年1月頃、大阪地方裁判所の競売に付されていた大阪府a市所在の原判決別紙物件目録(略)記載の不動産(以下「本件不動産」という。)を、入札価格460万円で落札し、その所有権を取得した。

(3)控訴人は、同年頃、被控訴人代表者A(以下「A」という。)に対し、控訴人の知人であるBが経営する不動産会社である株式会社B(以下「B社」という。)が話を持ち込んできた愛知県b市所在の不動産(以下「b物件」という。)の取引を勧めた。
   被控訴人は、これを受けて、平成18年6月12日、B社との間で、愛知県b物件に関して、下記内容の覚書を取り交わした。その際、被控訴人は、下記イのとおり、B社の保証人となった。
 ア 被控訴人は、B社の依頼に応じて競売物件(b物件)の落札を行う。
 イ B社は、被控訴人に依頼した競売物件の販売を、責任を持って行うこととし、万が一損金を出した場合、控訴人と共に弁済する。
 ウ 報酬は下記のとおりとする。
   純益=販売価格-{落札費用+諸費用(登記費用、取得税等一切の費用)}
   純益の60%を被控訴人の取り分とし、40%をB社の取り分とする。
   被控訴人は、同年7月頃、b物件を競売により落札し、その所有権を取得した。

(4)被控訴人は、平成19年4月、山梨県c市所在の不動産(以下「c物件」という。)の競売の際、B社に入札に係る費用841万6600円を貸し付け、B社が落札した。

(5)控訴人は、同年12月20日頃、Aから退職を求められたため、被控訴人を退職した。
   控訴人は、同月22日、下記内容の被控訴人宛ての覚書に署名した上、指印及び押印をした(以下、上記覚書を「本件覚書」といい、本件覚書記載の下記内容の合意を「本件合意」という。)。
 ア b物件、c物件及び本件不動産については、控訴人が被控訴人を退職した後も責任を持ち、販売について努力する。平成20年4月末日をめどとする。
 イ 万が一被控訴人に損害が生じた場合は、控訴人は損金について弁済義務があり、責任をもって支払う。

(6)その後、被控訴人は、b物件を売却し、約420万円の利益を得た。被控訴人とB社は、上記(3)ウの合意に基づいて上記利益を分配し、被控訴人はB社に160万円以上の分配金を支払った。

(7)B社及び控訴人が、本件不動産を売却することができなかったことから、被控訴人は、平成30年5月8日、その費用を負担してリフォームした上で、本件不動産を約595万円で売却した。その結果、被控訴人に約240万円の損失が生じた。

(8)被控訴人(一審原告)は、本訴を提起して、本件合意により補填されるべき損金約240万円が生じたと主張して、控訴人(一審被告)に対し、本件合意に基づき、上記損金及び遅延損害金の支払いを求めた。
   原審(大阪地裁平成31年4月23日判決・労働判例1228号93頁)は、本件合意が脅迫によるものであるとも、公序良俗に反するとも認められないとして、被控訴人の請求を全部認容した。控訴人がこれを不服として本件控訴を提起した。


【争点】

(1)本件合意は公序良俗に反するか
(2)損金の額
   以下、裁判所の判断の概要を示す。


【裁判所の判断】

(1)認定事実
   控訴人の供述等を総合すれば、以下の事実が認められる。
 ア 被控訴人は、平成18年1月頃、本件不動産を競売により落札したが、その手続を行ったのは、控訴人ではなく被控訴人の若手の営業担当者であり、控訴人は全く関与していなかった。しかし、売却が難しそうな物件であったため、上記落札についてAがひどく怒り、その際、控訴人は、上記営業担当者をかばって代わりにAに謝った。
 イ 控訴人は、平成19年4月、c物件を競売で落札したことによる代金納付期限の2日前に、Aから現地に行くように命じられ、必要書類等を携えてBに同行した。控訴人は、それより前にc物件を見たり、その取引に関与したりしたことはなかった。
 ウ Cは、D組系暴力団組員であったところ、被控訴人の事務所に毎日のように顔を出し、控訴人を含む被控訴人の従業員にD組の代紋のストラップを見せびらかし、被控訴人のトラブルに介入するなどしていた。Cは、平成18年5月頃、営利目的誘拐と恐喝の被疑事実により逮捕・勾留され、その後起訴された。
 エ 控訴人の妻であるEも、宅地建物取引主任者の資格を有していたため、平成18年頃から被控訴人に勤務するようになった。Eは、控訴人が平成19年12月20日頃に被控訴人を退職した後も、しばらく被控訴人での勤務を続けていた。
 オ 控訴人は、退職直後の平成19年12月20日、被控訴人の関係者のFから呼び出され、被控訴人の事務所を訪れた。Fは、被控訴人に対し、被控訴人宛の本件覚書への署名押印を求めた。
   控訴人は、本件覚書記載の損金をなぜ控訴人が弁償しなければならないのか疑問を抱き、Fに対して「なんで書かなあかんねん。」と述べた。しかし、控訴人は、Fから「奥さんもまだおることやし。書いとけ。」などと言われた。そのため、控訴人は、A、F及びCらによる控訴人、Eに対する報復を恐れて、本件覚書に署名指印した。
   指印にした理由は、押印にするのに心理的な躊躇があったためである。しかし、控訴人は、Fから、控訴人がいつも携帯している実印を押せと言われたため、指印の右下に実印も押印した。
   また、控訴人は、Fから「いつまでに三つの物件を売るか、書け。」などと命じられた。そのため、控訴人は、手書きで「平成20年4月末日を目処とします。」と記載した。
 カ 控訴人は、b物件の売却後、B社(B)から7万円程度の金銭を受け取った。

(2)判断
 ア 上記(1)の認定事実等によれば、本件合意に関し、以下の点を指摘することができる。
  a)控訴人は、労働契約に基づき被控訴人に対して業務提供をしていたから、控訴人と被控訴人の権利義務関係については、労働基準法の適用を受ける。そして、同法16は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と規定している。
   本件合意は、その成立時期が控訴人の退職直後であるものの、使用者が労働契約関係にあった労働者に対して、退職後も上記労働契約に付随して努力する義務を負わせた上、将来被控訴人に損害が生じた場合には、事情の如何を問わずその全額の賠償を約束させるものにほかならず、実質的には、上記労働基準法の規定の趣旨に反するものである。
  b)控訴人が被控訴人に取引を勧めたのは、本件覚書記載の3物件のうちb物件のみであり、本件不動産及びc物件については、控訴人が入札の可否に関する判断をしたわけではなく、その他、被控訴人に生じた損金を補填しなければならないような合理的理由を何ら見出すことはできない。
  c)本件合意は、上記3物件の転売による利益は被控訴人が取得することを前提としながら、損金が生じた場合はその全額を控訴人に負担させるというものであり、極めて不公平で一方的な内容のものというほかない。
  d)被控訴人は、本件不動産を460万円で落札し、596万2853円で転売したものの、リフォーム工事代金やコンサルタント料等の出金を経費に算入すると、239万9835円の損金(注:出金合計836万2688円と入金596万2853円との収支差額)が発生したと主張している。
   しかし、上記3物件のうちb物件においては約420万円の利益が発生しており、被控訴人はB社に約160万円を分配しても、なお約260万円の利益を確保している(なお、控訴人は、b物件の売却後に7万円程度を受け取っているが、このことをもって被控訴人から利益の分配を受けたものと評価することはできない。)。
   このように、本件合意は、本件不動産の損金のみを切り離し、これをいわば別枠にしてその全額を控訴人に填補させる一方、利益が生じた場合に控訴人にこれを分配することを何ら予定していないから、控訴人に何らのメリットもなく、一方的に被控訴人に有利な内容のものというべきであり、社会的相当性を欠くものというほかない。
  e)以上のとおり、本件覚書は、被控訴人に一方的に有利で、かつ、控訴人に一方的に不利益な内容であって、既に被控訴人を退職していた控訴人が本件覚書に係る本件合意をする合理的理由を何ら見いだせないにもかかわらず、控訴人が本件覚書に署名押印したのは、これを拒否した場合に控訴人及び当時被控訴人に就労中の妻Eに加えられることが想定される、A及び被控訴人関係者(F,C)からの報復を恐れたためであると解するのが自然であり、これに沿う控訴人の供述(原審・当審)は信用できる。
   したがって、本件合意は、控訴人の自由意思によるものとは到底いえないというべきである。
 イ 上記アの点を総合すれば、本件合意は、その内容においても、控訴人の自由意思によるものとはいえない点においても、公序良俗に反し、無効というべきである。
   そうすると、その余の争点について判断するまでもなく、被控訴人の請求は理由がないことになる。

(3)結論
   原判決は失当であるから、これを取り消す(請求棄却)。