最高裁令和元年11月7日判決(労働判例1223号5頁)

原審が、契約期間の満了により本件労働契約の終了の効果が発生するか否かを判断することなく、被上告人の請求を認容した点に判断の遺脱があると判示した事例(一部破棄・差戻し)


【事案の概要】

    以下のとおりであるが、被上告人(二審被控訴人・一審原告)が本訴を提起するまでの経緯については、福岡地裁小倉支部平成29年4月27日判決の【事案の概要】参照。

(1)上告人(二審控訴人・一審被告)は、第1審判決(福岡地裁小倉支部平成29年4月27日判決・労働判例1223号17頁)を不服として控訴をした。上告人は、控訴理由書において、本件労働契約(注:最後の更新において、契約期間は平成26年4月1日から平成27年3月31日までとされた有期労働契約)が契約期間の満了により終了したことを抗弁として主張した。
   被上告人は、控訴答弁書において、上記の主張につき、時機に遅れた攻撃防御方法として却下されるべきである旨を申し立てるとともに、雇用契約族の合理的期待が認められる場合には、解雇権の濫用の法理が類推され、契約期間の満了のみによって有期労働契約が当然に終了するものではないところ、本件労働契約の契約期間が満了した後、契約の更新があり得ないような特段の事情はないから、その後においても本件労働契約は継続している旨主張した。

   原審(福岡高裁平成30年1月25日判決・労働判例1223号11頁)は、平成29年9月14日の第1回口頭弁論期日において、上告人の上記の主張は時機に遅れた攻撃防御方法に当たるとしてこれを却下し、口頭弁論を終結した。

(2)原審は、上記事実関係等の下において、本件解雇には労働契約法17条1項にいう「やむを得ない事由がある」とはいえず、本件解雇は無効であるとし、最後の更新後の本件労働契約の契約期間が平成27年3月31日に終了したことにより本件労働契約の終了の効果が発生するか否かを判断することなく、被上告人の労働契約上の地位の確認請求及び本件解雇の日から判決確定の日までの賃金の支払請求を全部認容すべき旨の判断をした。


【争点】

   原審が、契約期間の満了により本件労働契約の終了の効果が発生するか否かを判断することなく、被上告人の請求を認容した点に判断の遺脱があるといえるか否か


【裁判所の判断】

(1)原審の判断のうち、契約期間の満了により本件労働契約の終了の効果が発生するか否かを判断することなく、被上告人の労働契約上の地位の確認請求及びその契約期間が満了した日である平成27年4月1日以降の賃金の支払請求を認容した部分は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
   最後の更新後の本件労働契約の契約期間は、被上告人の主張する平成26年4月1日から平成27年3月31日までであるところ、第1審口頭弁論終結時において、上記契約期間が満了していたことは明らかであるから、1審は、被上告人の請求の当否を判断するに当たり、この事実をしんしゃくする必要があった。
   そして、原審は、本件労働契約が契約期間の満了により終了した旨の原審における上告人の主張につき、時機に遅れたものとして却下した上、これに対する判断をすることなく被上告人の請求を全部認容すべきものとしているが、1審がしんしゃくすべきであった事実を上告人が原審において指摘することが時機に遅れた攻撃防御方法の提出に当たるということはできず、また、これを時機に遅れた攻撃防御方法の提出に当たるとして却下したからといって上記事実をしんしゃくせずに被上告人の請求の当否を判断することができることとなるものでもない。
   ところが、原審は、最後の更新後の本件労働契約の契約期間が満了した事実をしんしゃくせず、上記の契約期間の満了により本件労働契約の終了の効果が発生するか否かを判断することなく、原審口頭弁論終結時における被上告人の労働契約上の地位の確認請求及び上記契約期間の満了後の賃金の支払請求を認容しており、上記の点について判断を遺脱したものである。

(2)以上によれば、原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨(注:上告人の主張)はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決中、労働契約上の地位の確認請求及び平成27年4月1日以降の賃金の支払請求を認容した部分は破棄を免れない。
   そして、被上告人が契約期間の満了後も本件労働契約が継続する旨主張していたことを踏まえ、これが更新されたか否か等について更に審理を尽くさせるため、同部分につき本件を原審に差し戻すこととする(一部破棄・差戻し)。


 

福岡地裁小倉支部平成29年4月27日判決(労働判例1223号17頁)

配転命令やその前後の諸事情について、「やむを得ない事由」が存するか否かという視点から判断を加えて、有期労働契約社員に対する解雇を無効と判断した事例(上告審にて高裁に差戻し)


【事案の概要】

(1)原告は、昭和44年○月○日生まれの女性であり、夫と北九州A地区内に居住している。
   被告は、ビルの管理等を目的とする株式会社であり、関係会社と組合を組織して、北九州市から指定管理者としての指定を受け、A1市民会館、A2市民会館等の管理業務を行っている。

(2)被告においては、被告九州支店のA1市民会館社員及びA2市民会館社員の就業に関する基本事項を定めたものとして、「会館社員就業規則」(以下「就業規則」という。)が定められ、そこには以下のとおり規定されていた。
 ア 異動(第42条)
   被告は、業務の都合により会館社員の職種を変え、あるいは職場を異動させることがある。会館社員は、正当な理由がなければこれを拒むことができない。
 イ 解雇(第48条)
   会館社員は、次の各号の一に該当することとなった場合には、解雇とする(1項)。
  a)業務の能力が著しく劣り、出勤が常でないなど業務運営の障害になると被告が判断したとき(1号)
  b)その他前各号に準じるやむを得ない事由がある場合(3号)

(3)原告は、平成22年4月1日、被告との間で期間の定めのある雇用契約を締結し(以下「本件雇用契約」という。)、A1市民会館において、受付の業務を開始した。被告発行の労働条件通知書には次の記載がある。
 ア 雇用期間 平成22年4月1日から平成23年3月31日まで
 イ 勤務場所 A1市民会館 但し、業務上の都合により異動させることがある。
 ウ 業務内容 A1市民会館 受付係 但し、業務上の都合により変更させることがある。
 エ 更新の有無 更新する場合がある。以下略
   原告は、被告との間で雇用契約を4回更新した。

(4)被告は、平成26年5月8 日、原告に対し、口頭で、同年6月1日付けでA2市民会館の受付係へ異動するよう告知した(以下「本件配転命令」という。)。これに対し、原告は、同年5月11日付けで、被告に対し、本件配転命令は労働条件通知書の内容に反した人事異動であるなどとメールで抗議した。
   これを受けて、被告は、5月13日付けの「6月1日付 人事異動の件」と題する書面にて、①本件配転命令の理由A1市民会館の体制の強化及び人間関係問題の解決であること、②本件配転命令は労働条件通知書の勤務場所欄の但し書の場合に当たることなどと回答した。
   被告は、平成26年5月21日、改めて本件配転命令の辞令書を原告に交付し、同月27日、同年6月1日以降、A2市民会館に出勤しなければ欠勤扱いとなり、そうした事態が一定期間続くと懲戒処分の対象となると書面で告知し、同年6月1日、原告がA2市民会館にもA1市民会館にも出勤しなかったため、電話でこれから1週間出勤しなければ解雇すると伝えた。

(5)被告は、平成26年6月6日、原告代理人に対し、就業規則48条1項1号及び3号を理由として、同月9日付けで原告を解雇し、解雇予告手当を支払う旨を通知した(以下「本件解雇」という。)
   被告作成の同月16日付け解雇理由証明書には、原告が平成26年6月1日付けで発令したA2市民会館受付係に異動とする業務命令に正当な理由なく従わずに6月1日にA2市民会館に出勤せず、その際、「今後1週間出勤しなければ解雇する」と警告されたにもかかわらず、その後も何の連絡もなく出勤しなかったことが就業規則48条1項1号及び3号に該当すると記載されている。

(6)原告は、本件配転命令が違法無効であり、本件解雇も無効なものであるとして、被告に対し、雇用契約上の地位の確認並びに本件解雇の日から判決確定の日までの未払賃金及び遅延損害金の支払を求める訴えを提起した。


【争点】

   本件解雇がやむを得ない事由(労働契約法17条1項)によるものといえるか否か(特に、その前提となった本件配転命令が権利を濫用したものか否か)


【被告の主張】

   本件配転命令に関して、被告は以下のとおり主張した。
 ア A1市民会館では、原告と当時A1市民会館の館長であったD(以下「D元館長」という。)との間にトラブルが生じ、被告がそのトラブルの解決に乗り出していたところであったが、原告が被告の契約相手である北九州市に同トラブルに関する苦情等を持ち込んだため、北九州市から被告に対して、次期の管理委託契約も見合わせるといった趣旨の話まで出されてしまい、早急にA1市民会館の運営体制の見直しを行う必要が生じていた。そのような中、D元館長は、この事態について責任をとるため平成26年7月をもって自主退職することになり、他方、新しい館長を採用するに当たって、その経験不足を補うために、A2市民会館のG氏を副館長にして補佐させる必要が生じたものである。
 イ また、原告は、本件労働契約を更新して間もないころから、D元館長以外にも、他の従業員(特に舞台スタッフ)との軋轢が高まっており、原告の言動などを理由として退職を申し出る者が現れる事態となった。そのため、被告が原告に対し、人間関係を円滑にするよう努力してほしいと要請したにもかかわらず、原告は、「お客様に迷惑をかけなければ人間関係がぎくしゃくしても問題はない」などと明言して態度を改めなかったため、A1市民会館の職場環境改善のためには原告を異動させるしかなく、原告をG氏の異動により欠員が生じたA2市民会館へ移動させてその就労の場を確保するとともに、A3市民会館を含めた3つの市民会館における職員の適正数を維持することとし、本件配転命令を発したものである。


【裁判所の判断】

(1)本件解雇がやむを得ない事由(労働契約法17条1項)によるものといえるか否かについて
 ア 本件労働契約は、期間の定めのある労働契約であるから、被告が原告をその期間途中において解雇するためには、「やむを得ない事由がある場合」でなければならず(労働契約法17条1項)、期間の定めの雇用保障的な意義や同条項の文言に照らせば、その合理性や社会的相当性について、期間の定めのない労働契約の場合よりも厳格に判断するのが相当というべきである。
   そして、本件配転命令当時、それまでの原告の態度等からすると、本件配転命令を拒否する可能性があり、ひいては本件解雇に至ることも想定されていたもの考えられることからすれば、これらが密接に関連するものということができる。
   よって、本件解雇の適否を判断するに当たっては、本件配転命令の必要性や濫用の有無のみに焦点を当てるのではなく、本件配転命令やその前後の諸事情について、「やむを得ない事由」が存するか否かという視点から判断を加えるのが相当というべきである。
   そこで、以下、「やむを得ない事由」の有無について検討する。
 イ この点、被告は、前記【被告の主張】のとおり主張する。
   確かに、D元館長が、平成25年9月17日、A1市民会館社員全員の回覧に付した、「受付業務の改善について」と題する書面(以下「本件回覧文書」という。なお、その記載内容は、①受付2人体制の時は、業務に支障があるものとして有給休暇の申請は承認しない、やむを得ない場合は、他の受付スタッフの勤務変更で対応する、②3人勤務を減らすために、本番当日の3人体制を見直す、③他のスタッフの応援でもって対処する、④全体の勤務体制検討の段階で、必ずしも本人の公休(注:法定休日)希望日を優先しないなどである。)を巡り、これに異を唱える原告ら女性従業員3名が福岡労働局や北九州市に相談に赴き、他方、原告を含む女性職員に対して不満を持つ舞台スタッフらの不満が噴出するなどした(原告に対する不満から退職を申し出る者まで現れた。)ことから、A1市民会館において、C支店長やB統括を交えたミーティングが持たれ、本件回覧文書が撤回されるとともに、D元館長が謝罪することになり、さらには、D元館長が事態の責任をとる形で退職するなど、事態の収拾に向けた大きな動きが見られるところである。
   そして、C支店長の供述によれば、原告を雇止めにすることも検討したが、原告が福岡労働局等へ赴いたことなどに対する報復人事と捉えられるのを避けるため、原告との雇用契約を更新し、その態度を改めるよう求めたものの、原告が「お客様に迷惑をかけなければ人間関係がぎくしゃくしても問題ない」などと明言して態度を改めなかったため、本件配転命令に踏み切り、さらに本件解雇に至ったというのである。
 ウ しかし、本件回覧文書は、有給休暇の取得に関わるものであるから、原告らが福岡労働局へ相談に赴くことが不適切な行為であるということはできない(ただし、福岡労働局での相談が切っ掛けになっているとはいえ、原告らが北九州市に相談に赴いた点は軽率であるとの非難を免れないものである。)。
   また、本件回覧文書の件は、ミーティングを重ねるなどした結果、本件回覧文書が白紙撤回され、D元館長が謝罪することで一応の解決が図られたものであり、この件でA1市民会館の業務運営が滞った事実は窺われない。他方、原告に嫌悪感を示す舞台スタッフらの不満が表面化するなどして、A1市民会館の従業員の一部で人間関係がかなり悪化したものと窺われる。しかし、平素の業務運営自体にまで支障を来したような事実は認められず、被告の指摘するA1市民会館の混乱というのも、客観的にみれば、主に、上記のような人間関係の悪化と、それに伴って一部従業員が退職してしまい、A1市民会館の業務運営に支障が生じるのではないかと危惧する点に集約されるものと考えられる。
 エ ところで、前記のとおり、被告は、原告が「お客様に迷惑をかけなければ人間関係がぎくしゃくしても問題はない」などと明言して態度を改めなかったため、本件配転命令に踏み切ったとするが、原告に対して嫌悪感を明らかにする従業員がいる一方で、原告と良好な人間関係を築いている従業員も存するのであるから、極めて主観的な一面を持つ人間関係について、どちらか一方に責任を負担させるような形で決着を付けることには慎重であるべきであり、先ずは、不満とする点に関する具体的な事実関係や理由を調査・確認すべきであり、その結果に基づき、当事者双方に対する適切な指導等を重ねるのが相当というべきである。
   この点、証拠を精査するも、上記人間関係の問題について、被告がいかなる具体的な事実関係を調査、確認し、これを基にどのような判断をしていたのかは判然とせず、舞台スタッフらが退職を考えるほど原告に対する嫌悪感を抱くようになった理由についても具体的な点は明らかにされているとはいえない。また、原告に対し、その態度を改めるようにとの指導が行われているが、具体的な指摘に乏しい指導に止まるものと見受けられ、他方、舞台スタッフに対してどのような指導が行われたのかは明らかではない。
   被告は、本件回覧文書を白紙撤回してD元館長に謝罪させ、さらにはD元館長との雇用契約を終了させることとして事態の収拾を図り、他方で、原告の雇用は継続したのであるから、しばらくは事態の成り行きを見守りながら対応を検討することもあり得るところであって(退職を申し出た舞台スタッフに対してはその旨説明するなどして慰留することもできたものと考えられる。)、本件配転命令に対しては、性急に過ぎるとの感を否めず、被告が事態の収拾に焦っていたようにも窺われるのである。
 オ 被告は、報復人事の誹りを免れるという理由があるにせよ、期間満了で終了する本件労働契約を更新したのであるから、次の更新時期まではそれを尊重して然るべきものである。
   そして、上記のような検討からすれば、被告においては、未だ具体的な事実関係の把握が乏しい上、人間関係の渦中にある原告らに対して、十分な指導が行われたとは認め難く、原告に対しては、その問題ある態度を具体的に把握し、原告にこれを指摘して改善を求め(例えば、無断録音を禁ずることもその一つと考えられるし、調査や指導の経過を記録にとどめることも重要である。)、これを重ねた上で改善が認められない場合に、解雇に踏み切るべきである。
 カ 他方、原告は、B統括ないしC支店長からパワハラを受けた旨主張するが、証拠を精査するも、パワハラと評価すべきほどの事実関係は認められない。
   しかし、前判示したところを総合すれば、本件解雇は、未だ合理性ないし社会的相当性のあるものとは認められず、「やむを得ない事由がある」と認めることはできないから、本件解雇は無効というべきであり、本件配転命令についても、なお必要性に疑義があるものというべきである。

(2)結論
   以上によれば、本件解雇は無効であり、被告が本件解雇以外に本件労働契約の終了原因を主張しない以上、原告は、雇用契約上の権利を有する地位にあるものというべきである(請求認容)。


 

東京地裁平成30年5月22日判決(判例タイムズ1469号202頁)

原告が解雇を回避するために退職合意をしたとは認め難く、退職合意の動機が表示された事実もないことから、退職合意について原告に錯誤があったとは認められないと判示した事例(確定)


【事案の概要】

(1)被告は、貸事務所及び貸会議室の経営等を目的とした株式会社であり、英国を本拠地として世界各国でレンタルオフィス事業を展開するYグループの日本法人である。
   原告(昭和50年生)は、平成27年6月2日、被告との間で、試用期間を6か月とする期間の定めのない雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結したうえ、同年7月1日よりジェネラルマネージャー(以下「GM」という。)として被告に入社し、名古屋市内のMセンターを拠点とする営業職として稼働を開始した。
   甲リージョナルディレクター(以下「甲RD」という。)は、原告の上司であり、東京を拠点として、原告を含む営業職に対する広範な人事権を有していた。

(2)平成27年9月の原告の営業成績は、①(レンタル)オフィス案件(以下「RO案件」という。)1件・2席、②ビジネスワールドカード案件(以下「BW案件」)0件、③ヴァーチャルオフィス案件(以下「VO案件」)0件であった。
   甲RDは、名古屋での勤務経験があったことから、同年10月ころ、原告に対し、社会保険労務士のAを紹介し、営業活動をしてみるよう助言した。原告は、フェイスブックのメッセージ機能を利用して、Aに対し、甲RDから紹介を受けたことなどを記載した挨拶のメッセージを送信したところ、Aから、よろしくお願いしますとの返信があった。原告は、これから相談したいことがあるのでよろしく御願いしますと返信したが、未読のままで反応がなかったため、Aに対し、それ以上の連絡を取ることはしなかった。

(3)平成27年10月の原告の営業成績は、①RO案件1件・2席、②BW案件1件、VO案件0件であり、同年11月の原告の営業成績は、①RO案件1件・1席、②BW案件1件、VO案件1件であった。
   甲RDは、同年11月30日の段階で、営業成績が上記の水準では本採用することは難しいと判断し、原告に対し、1回目のPIP(Performance Improvement Plan、業績向上計画)を記載した討論議事録(以下「第1PIP」という。)を交付した。第1PIPにおいては、RO案件を12月中に5件・10席成約することなどが目標とされた。

(4)平成27年12月の原告の営業成績は、①RO案件4、5件程度・7~10席程度、②BW案件2件、VO案件2件と、第1PIPにおいて設定した目標に近い営業成績を収めた。
   しかし、甲RDは、同年9月から11月までの原告の成績が不十分であったことも踏まえると、同年12月の成績だけでは原告を本採用することはできないと判断し、同月28日、原告に対し、第2PIPを交付するとともに、本件雇用契約上の試用期間(同月31日まで)を6か月延長する旨を通知した。第2PIPにおいては、RO案件を毎月及び3か月平均で5件・12席、BW案件を毎月2件、VO案件を毎月3件成約することなどが目標とされた。

(5)平成28年1月の原告の営業成績は、成約なしであった。
   甲RDは、上記の営業成績や上記(2)のような営業活動の内容等を総合的に判断し、原告に対して退職勧奨を行なうことを決めた。
   甲RDは、同月27日、電話会議で原告と面談(以下「本件面談」という。)を行い、第2PIPにおける目標不達を指摘して退職を促したが、退職合意を提出しなければ解雇する旨の発言はしなかった。
   その後、原告は、被告に対し、退職届(以下「本件退職届」という。)、退職時秘密保持誓約書及び退職時返却アイテムリスト(これらの3種類の書類を併せて、以下、「本件退職届等」という。)に記入及び署名したうえで提出した。なお、本件退職届には、同年2月9日を退職日とすること、退職の理由を会社都合とすること、離職票の交付を希望することなどの記載がある。

(6)原告は、平成28年2月9日、被告に対し、同年1月29日付け退職合意書(以下「本件退職合意書」という。)に署名押印したうえで郵送するとともに、その画像をメールで送信した。なお、本件退職合意書には、①原告と被告は、本件雇用契約を同年2月9日限り合意解約すること(以下「退職合意条項」という。)、②雇用保険用の離職証明書には、離職理由として、「4事業主からの働きかけによるもの(3)希望退職の募集又は退職勧奨[2]その他(事業主の勧奨による退職)」と記載されること(以下「会社都合退職条項」という。)、③被告は、原告に対し、退職合意金として月次基本給の1か月分を支払うこと(以下「退職合意金条項」という。)、④原告は、本件退職合意締結以前の事由に基づき今後一切の異義申立て又は請求等の手続(あっせん申立て、仲裁申立て、調停・訴訟手続等の一切)の行為を行なわないことを確約することなどの記載がある。

(7)被告は、原告に対し、会社都合退職条項に従って離職証明書を発行し、平成28年2月25日には、同月9日までの未払賃金及び退職合意金条項に基づく退職合意金を支払った。

(8)原告は、平成28年10月12日、本件訴えを提起した。


【争点】

(1)本件訴えの適法性(争点1)
(2)本件退職合意に係る錯誤無効の成否(争点2)
(3)未払賃金請求及び損害賠償請求の可否(争点3)
   以下、裁判所の判断の概要を示す。


【裁判所の判断】

(1)争点1(本件訴えの適法性)について
   本件訴えについて、不起訴合意の効力が及ぶとはいえないのであって、本件訴えは適法である(注:詳細については、省略する。)。

(2)争点2(本件退職合意に係る錯誤無効の成否)について
 ア 原告は、
  ①営業成績の不振を理由に原告を解雇することにつき、客観的に合理的な理由は存在しなかったこと
  ②第1PIP及び第2PIPは、目標達成を解除条件とする(懲戒)解雇の意思表示と解されること
  ③本件面談において、原告が退職合意に応じることを解除条件とする解雇の意思表示がされたこと
  ④原告は、合意退職に応じなければ解雇されると誤信して、本件退職届等を提出し、
  ⑤精神的に追い詰められて適応障害を発症し、解雇された場合の再就職の困難さに対する恐怖から、本件退職合意書を送付したこと
  ⑥解雇を避けるという動機を被告は当然に認識していたから、その動機は黙示的に表示されていたといえることなどを指摘して、本件退職合意が動機の錯誤により無効であると主張する。
 イ しかしながら、原告は、複数の外資系企業等での勤務経験を経た即戦力として年俸600万円の待遇で中途採用された者であるところ、他のGMの営業成績も第1PIPや第2PIPの水準に達しない場合があったとしても、平成24年12月以外は被告から期待されていた営業成績をあげられていなかったことについては、原告自身も自覚していたところである(原告本人)し、甲RDから紹介を受けた社会保険労務士のAとの接触状況に照らし、原告の営業活動の内容(積極性等)を不十分とみなした甲RDの判断が不合理であったとはいえない。
 ウ また、第1PIP及び2PIPの記載をみても、6節において、「Termination of Employment」(雇用の終了)は選択されておらず、8節においても、設定された目標等との関係で改善が見られない限り、雇用が終了される可能性が記載されているにとどまり、これを条件付きの解雇の意思表示などと評価することは困難である(原告本人)。そうすると、第1PIP及び第2PIPは、被告が、営業成績が伸びない原告に対し、PIPという形で目標を伝えるとともに、これが達成されない場合には本採用されない可能性があることを伝達した書面に過ぎないものと認められる。
 エ 本件面談において、RDが、原告に対し、退職届を提出しなければ解雇するなどと発言した事実はなく、原告が、甲RDの発言が解雇の意思表示の趣旨であるかを確認した形跡も窺われないから、本件面談におけるRDの原告に対する発言をもって、条件付き解雇の意思表示と評価することは困難である。
 オ また、本件退職合意書には、本件退職合意金条項など原告に有利な条項も盛り込まれていたものであるし、有給休暇の取得に係る原告の要望を被告も受け入れ、退職日は平成28年2月9日とされたものである。
   しかも、本件面談から本件退職合意書の提出まで約2週間の期間があったところ、原告は、その間、被告に対し、本件退職合意について異義を述べたり、解雇の回避のために本件退職合意をする旨を伝達したりした事実も認められない(原告本人)。
 カ 以上によれば、原告が、解雇を回避するために本件退職合意をしたとは認め難く、被告に対し、本件退職合意の動機が解雇の回避にあることを表示した事実も存しないから、退職勧奨に応じることもやむを得ないと考えて本件退職合意をしたと認めるのが相当である。
   したがって、本件退職合意について原告に錯誤があったとは認められず、上記アの原告の主張は採用できない。

(3)争点3(未払賃金請求及び損害賠償請求の可否)について
 ア 上記(2)のとおり、本件退職合意につき原告に錯誤があったとは認められないから、本件退職合意に基づく退職日以降の賃金の支払を求める原告の未払賃金請求は理由がない。
 イ 被告の原告に対する解雇ないし退職勧奨が不法行為を構成するものとは認められず、原告の損害賠償請求は理由がない(注:詳細については、省略する。)。

(4)結論
   原告の請求はいずれも理由がない(請求棄却)。