東京高裁平成30年5月17日判決(判例タイムズ1463号99頁)

債務弁済契約の性質を有する本件弁済合意で定められた債権債務が認められるためには、その原因となった損害賠償請求権の存在が必要であると判示した事例(取消自判、確定)


【事案の概要】

(1)控訴人は、平成18年8月から被控訴人の〇〇店の店長を務めていた。
   被控訴人においては、顧客に対する売掛金の回収が滞った場合、被控訴人が担当従業員の失態として当該従業員に対し支払を要求することや、責任者であるとして店長に負担を要求することがあった。
   そのため、控訴人は、顧客に対する売掛金が回収できなかった場合、責任を免れるために、従業員に指示して、他の顧客に対する売上を未回収の売掛金の支払に流用することも行っていた。

(2)被控訴人は、平成19年12月1日、顧客であるDに対し、袋帯等代金合計52万5000円を売り上げ、同日、Dから信販申込分37万円を除く15万5000につき現金で支払を受けた。しかし、同現金については入金に関する処理は行われず、Dに関する得意先台帳のコンピュータ記録上は、上記入金は記録されなかった。

(3)被控訴人の顧客であるAから、被控訴人に対し、平成20年12月29日、商品代金として20万円が入金され、領収書は控訴人が作成交付した。しかし、同入金に関する処理は行われず、Aに関する得意先台帳のコンピュータ記録上は、上記入金は記録されなかった。

(4)被控訴人は、顧客であるEに対し、平成20年12月15日、平成21年1月に開催予定の新年会用の着物を代金合計15万円で販売し、代金を受領した。しかし、納品が間に合わなかったことから、控訴人は、Eから注文を取り消されて受領した代金の返還を要求されるのを避けるため、担当従業員であったGに指示して、Eに対し代替品として商品代金30万円の訪問着及び胴裏を交付し、代金の支払は不要であると告げさせた。Eに関する得意先台帳のコンピュータ記録上は、同月9日、Eに対し、訪問着等代金合計30万円(訪問着29万2200円、胴裏7800円)を売り上げたこととなっており、売掛金が未収となっている。上記訪問着等の商品台帳上の在庫評価単価は合計13万8500円である。

(5)Gは、担当顧客であるCから、平成21年1月31日、商品代金として現金10万円を受領した。控訴人は、Gに対し、領収書の発行を指示した。しかし、Cに関する得意先台帳のコンピュータ記録上は、上記入金は記録されなかった。

(6)被控訴人の顧客であるBから、控訴人に対し、平成21年7月5日、商品代金として200万円が入金されたが、被控訴人においては、同日付でBから130万円3200円の入金があった旨の売上で伝票が作成され、差額の69万6800円については入金処理がされず、Bに関する得意先台帳のコンピュータ記録上は、売掛残高が70万円存在する旨の記録がされていた。他方、被控訴人は、顧客である甲学院に対し、平成21年7月5日の時点で69万6800円の売掛残があり、同日、同額の入金処理が行われた。
   甲学院は有限会社乙の設置する着付け教室であったが、同会社につき、平成21年8月26日、東京地方裁判所により破産手続開始がされ、同年12月3日、破産手続廃止決定が確定した。

(7)被控訴人は、平成22年1月27日付けで、同年2月27日付けをもって控訴人を解雇する旨通知した。

(8)被控訴人は、平成23年1月13日付けで、Aに対する売掛金20万円、Bに対する売掛金70万円、Cに対する売掛金10万円、Eに対する売掛金30万円、Dに対する売掛金15万5000円について回収不能となっており、これらは当時店長であった控訴人の指示又は承認のもとに取扱いを行ったものであるとして、説明等を求める旨を記載した「要望書」と題する書面を控訴人に送付した。

(9)被控訴人の総務部長であったKは、平成23年1月26日、控訴人と面談した。その際、控訴人は、売掛残145万5000円について記憶が定かでないとしつつも、着服は行っていない旨を述べたが、店長としての責任があることを認めた。被控訴人は売掛残145万5000円については月額3万円から5万円の弁済を要求し、控訴人はこれに対し月1万円程度の弁済を申し出た。

(10)控訴人は、平成23年2月17日付けで、「平成23年1月13日付要望書並びに、平成23年1月26日の経過説明等にもとづく、売掛回収不能先5件、金1,455,000円については、他の顧客等への流用あるいは不適正取扱い等の事実を認めたうえで、弁済の責任を負うことを認めます。」との記載のある念書(以下「本件念書」という。)を、被控訴人に交付した(以下、上記の金員を分割弁済する旨の控訴人・被控訴人間の合意を、「本件弁済合意」という。)。

(11)Kは、平成23年12月22日までに、控訴人から支払を受けた8万円を含め、56万8841円を回収し、同日、控訴人に対し、同人に対する債権の残高が88万6159円(145万5000円―56万8841円)である旨を通知した。


【争点】

(1)本件弁済合意の有効性
(2)本件弁済合意の原因である債権の存在の要否
(3)本件弁済合意の原因である損害賠償債務の存否
(4)被控訴人に対する既払金等の有無
   以下、裁判所の判断の概要を示す。


【裁判所の判断】

 (1)本件弁済合意の有効性
   本件弁済合意をするに当たり、控訴人が被控訴人から威圧や強制を受けたとも認められない。加えて、後記(2)のとおり、本件弁済合意は原因となる債権債務の存在をお要件とするものであって、合意の成立だけで控訴人・被控訴人間の債権債務が決定されるものではない。
   そうすると、本件弁済合意は公序良俗に反するものとは認められず、本件弁済合意は有効である。

(2)本件弁済合意の原因である債権の存在の要否
   【事案の概要】(8)ないし(10)によれば、本件弁済合意は、被控訴人の有無やその賠償額について交渉が行われた上で合意されたものではなく、互いに譲歩してその間に存する争いをやめることを約したものとはいえないから、和解契約とは認められない。
   合意に至る上記経緯からすると、本件弁済合意は、被控訴人の要求する金額について控訴人と被控訴人の間で分割支払の合意がされた債務弁済契約と認めるのが相当である。したがって、本件弁済合意で定められた債権債務が認められるためには、その原因となった被控訴人の控訴人に対する損害賠償請求権が存在することが必要である。

(3)本件弁済合意の原因である損害賠償債務の存否
 ア 従業員が業務行為(労務提供行為)として行った営業活動等を原因として、結果的に雇用主に売掛金の回収不能等の損害が生じたとしても、当該従業員は、雇用主に対して、当然に、不法行為又は債務不履行による損害賠償責任を負うものではない。雇用関係中の行為に関して従業員が損害賠償責任を負うのは、故意や不正な行為等によって使用者に損害を生じさせた場合に限られる。
   そこで、以下、本件弁済合意の原因である控訴人の被控訴人に対する損害賠償債務が存在するかどうかを判断するために、控訴人が故意や不正な行為等によって被控訴人に損害を生じさせた事実があるか否かを検討する。
 イ Aに対する売掛金20万円
   【事案の概要】(3)によれば、被控訴人は、控訴人に対し、不法行為に基づき、20万円の損害賠償請求権を有する。
 ウ Bに対する売掛金70万円
   【事案の概要】(6)によれば、控訴人は、平成21年7月5日、甲学院から入金がないのに、Bから入金された売上金を流用して、同学院の69万6800円の売掛残について、入金処理をしたものと認められるが、同学院に対する売掛金は、回収の見込みのないものであったことが認められる。
   そうすると、控訴人がBからの入金を甲学院の入金として流用したことは不正な処理であるけれども、同学院に対する未収金は通常の営業によって生じたものであって控訴人がこれを賠償する責任はなく、上記流用行為に関して、被控訴人が控訴人に対し損害賠償請求権を有するとは認められない。
 エ Cに対する売掛金10万円
   【事案の概要】(5)によれば、被控訴人は、控訴人に対し、不法行為に基づき、10万円の損害賠償請求権を有する。
 オ Eに対する売掛金30万円
   【事案の概要】(4)によれば、控訴人は、Eに対する納品遅れによる代金返還を避けるため、平成21年1月11日、注文品とは別の着物等を提供してその代金の支払を免除している。控訴人に、商品代金の支払を免除する権限があったとは認めらないから、控訴人は、上記代替品の提供に関し不正な処理を行ったというべきである。そして、控訴人がEに対して提供した着物等の価値は、その商品台帳上の在庫評価単価である合計13万8500円程度と認められるから、被控訴人は、控訴人による上記不正な処理によって上記着物等の価値に相当する13万8500円の損害を被ったものと認められる。したがって、被控訴人は、控訴人に対し、不法行為に基づき、13万8500円の損害賠償請求権を有する。
   この点、被控訴人は、控訴人がEに対して無償提供した着物等の販売価格は30万円であるから、上記着物等は30万円に相当する価値があった旨主張する。しかし、上記着物は、平成17年7月に仕入れて以来、販売されなかったことが認められ、同着物を30万円で販売することが可能であったとは認められず、同着物に30万円の価値があったとは認められない。
   他方、控訴人は、被控訴人に15万円の返金義務が発生するのを避けるために、同程度の価値の着物をEに無償で交付したものであるから、控訴人の上記の不正な処理によって、被控訴人に現実の損害は生じていない旨主張する。しかし、被控訴人がEに対し商品代金を返還する場合には、Eに販売した商品がEから返還されることとなるのであるから、控訴人の主張は成り立たない。
 カ Dに対する売掛金15万5000円
   【事案の概要】(2)によれば、被控訴人は、控訴人に対し、不法行為に基づき、15万5000円の損害賠償請求権を有する。
 キ 小括
   本件弁済合意によって、控訴人が被控訴人に対して支払義務を負う損害賠償債務の額は、上記イ、エ、オ及びカの合計59万3500円に限られる。   

(4)被控訴人に対する既払金等の有無
   控訴人は被控訴人に対し、本件弁済合意に基づく弁済金として、平成23年4月から平成26年3月末日までに合計36万円を支払った(注:原判決にて認定された事実)ほか、【事案の概要】(11)によれば、被控訴人は、本件弁済合意に係る損害賠償金につき合計48万8841円を回収したことが認められる。
   とすれば、被控訴人は、控訴人に対し、本件弁済合意に係る債権として、合計59万3500円の損害賠償請求権を有していたことが認められるが、被控訴人は、平成26年3月末日までに、これを上回る額を回収済みと認められる。したがって、被控訴人の控訴人に対する本件弁済合意に係る債権の請求権はない。

(5)結論
   被控訴人の請求は、理由がない(請求棄却)。