札幌地裁令和2年3月13日判決(労働判例1221号29頁)

原告の上司によるセクシャルハラスメントは、継続していないが、「会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった」場合に該当し、その心理的負荷の評価は「強」となると判示した事例(確定)


【事案の概要】

(1)原告は、昭和53年生まれの女性であり、平成27年6月3日から平成29年1月31日までの間、株式会社K(以下「本件会社」という。)にアルバイトとして雇用されていた者である。本件会社は、チルド食品等の配送、物流センター代行業務等を業とする株式会社である。B(以下「B」という。)は、昭和43年生まれの男性であり、平成27年6月当時、本件会社のAセンター長の地位にあった者である。

(2)原告は、札幌東労働基準監督署長に対し、本件会社においてセクシャルハラスメント等を受け、もって業務により精神障害(うつ病)を発病したとして、平成28年5月以降、労災保険法に基づく休業補償給付及び療養補償給付の支給を請求した。札幌東労働基準監督署長は、同年10月以降、これらの請求のいずれについても支給しない旨の決定(以下「本件各処分」という。)をした。
   原告は、平成29年1月30日北海道労働者災害補償保険審査官に対し、本件各処分につき審査請求をした。同審査官は、同年7月27日、原告が複数のセクシャルハラスメントを受けたと認定しつつも、心理的負荷による精神障害の認定基準の要件を満たさないとして、審査請求を棄却する旨の裁決をした(以下「本件審査決定」という。)。
   原告は、平成29年12月19日、本件訴訟を提起した。

(3)厚生労働省労働基準局長による平成23年12月26日付け「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(基発1226第1号。以下「認定基準」という。)の概要は、以下のとおりである。
 ア 認定要件
   次のいずれをも満たすときは、労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する業務上の疾病として取り扱う。
  a)ICD-10(国際疾病分類第10回修正版)第Ⅴ章に分類される精神障害であって器質性のもの及び有害物質に起因するものを除くもの(これには、うつ病が含まれる。以下「対象疾病」という。)。
  b)対象疾病の発症前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること
  c)業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと
 イ 業務による心理的負荷の強度の判断
   「業務による心理的負荷評価表」を指標として「強」「中」「弱」の3段階に区分する(詳細は省略する。)。
 ウ 出来事が複数ある場合の全体評価 略
 エ セクシャルハラスメント事案について
   セクシャルハラスメント事案おける心理的負荷の強度の判断の具体例は、以下のとおりである(「業務による心理的負荷評価表」項目36)。
  a)「弱」になる例 略
  b)「中」になる例
   胸や腰等への身体接触を含むセクシャルハラスメントであっても、行為が継続しておらず、会社が適切かつ迅速に対応し発病前に解決した場合(以下略)
  c)「強」になる例
   胸や腰等への身体接触を含むセクシャルハラスメントであって、継続して行われた場合
   胸や腰等への身体接触を含むセクシャルハラスメントであって、行為は継続していないが、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった又は会社への相談等の後に職場の人間関係が悪化した場合(以下略)
 オ その他心理的負荷の強度が「強」となる出来事の例
  a)退職勧奨 略
  b)非正規社員であるとの理由等により、仕事上の差別、不利益取扱いを受けた場合、原則として心理的負荷の強度は「中」であり、(中略)心理的負荷を「強」と評価する(「業務による心理的負荷評価表」項目24)。
  c)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた場合 略
 カ 業務以外の心理的負荷及び個体側要因の判断 略


【争点】

    本件会社での業務に起因して原告が精神障害(うつ病)を発病したといえるのか否か
   以下、裁判所の判断の概要を示す。


【裁判所の判断】

(1)原告は、平成28年1月3日以降、不眠等の症状が生じて、同月18日に医療社団法人H会I病院の医師の診察を受けた際、同年に入ってから不眠や不安感等の症状が生じた旨を訴えていたのであり、原告の診察を行った医師は、こうした原告の状況を踏まえ、同月上旬にうつ病が発現し、うつ病を発病したと判断したのであって、その診断は合理的ということができ、J病院における診断もこれと矛盾するものではない。そうすると、原告が精神障害(うつ病)を発病した時期は、同年1月上旬と認めるのが相当である。
   そこで、以下、認定基準を踏まえ、原告の発病(平成28年1月上旬)前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷と評価し得る出来事があったか否かについて検討する。

(2)セクシャルハラスメント該当性
   Bは、平成27年6月27日から同年8月25日までの間、原告に対し、
  ①原告が気持ち悪さを感じるような態様で、その頭を3回なでた
  ②「この匂い、○○さん?」と言いながら、原告の胸や脇の辺りに顔を近づけて匂いを嗅いだ
   ③菓子を口に含んだ上、顔を原告に近づけて、口移しをするようなしぐさをした
   ④原告の容姿につき「眼鏡を外した方がかわいいよ。」、「かわいい」などと言った
   ⑤「○○さん、うまいでしょう」、「ねぇ、ここでして、ここでしてよ。」などと言いながら股間部分を指差して性行為(口淫)を求めた
ものである(原告が札幌東労働基準監督署に提出した平成28年5月31日付け陳述書、同署での同年6月27日付け聴取署等)。
   これらの各行為は、直接の身体接触を伴うか(上記①)、顔、胸及び脇といった身体のデリケートな部分に極めて近接するものであり(上記②及び③)、しかも、性行為を求めたり(上記⑤)性的に不適切な言動をしたりしたものであって(上記②~④)、セクシャルハラスメントと評価されるべきものである。
   そして、これらの行為は約2か月間の間に連続して行われたものであって、繰り返される出来事として一体のものとして評価すべきであるから、一体として、「胸や腰等の身体接触を含むセクシャルハラスメント」と評価すべきものというべきである。
    なお、上記各行為の当時、BはAセンター長の地位にあったのに対し、原告は入社したばかりのアルバイトであり、年齢もBの方が原告よりも10歳年上であった上、原告は、当時、アルバイトから嘱託職員への登用を望んでいたものであって、Bは、雇用契約上、原告に対して優越的な地位にあったというべきである。そうすると、この点は、原告の心理的負荷を強める要素として評価すべきことになる。
   また、Bは、平成27年8月26日、結婚を報告した原告に対し、「なんで結婚したの。」、「結婚したら国からお金もらえないべや。俺の知り合いなんてわざと籍を入れないで生活保護を受けてるやついるぞ。」などと言った事実も認められるところ、この行為はセクシャルハラスメントそのものではないものの、上記⑤の翌日の出来事であり、また原告に不快感を及ぼすものであるから、心理的負荷の判断に当たっては、上記①ないし⑤の行為と関連のある出来事として評価するのが相当である。

(3)「会社が適切かつ迅速に対応し発病前に解決した」か否か
 ア ところで、Bによるセクシャルハラスメントは、上記(2)⑤の行為が最後であり、平成27年9月以降にセクシャルハラスメントが継続することはなかったのであるから、本件は、認定基準にいう「身体接触を含むセクシャルハラスメント」であって「行為は継続していない」場合に当たる。
   この場合、認定基準によれば、「会社が適切かつ迅速に対応し発病前に解決した」のであれば、心理的負荷の程度は「中」にとどまる一方、「会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった又は会社への相談の後に職場の人間関係が悪化した」のであれば、心理的負荷の強度は「強」となる。
   そこで、以下、本件会社が適切かつ迅速に対応し、発病前に解決したといえるのか否かについて検討する。
 イ 原告は、平成27年9月4日、原告の直属の上司でありCセンター長であるGに対し、Bからセクシャルハラスメントを受けている旨報告したが、Gは、これをさらに上司に報告することなく、そのまま放置していたものである。
   また、原告は、同月6日、匿名で、経営管理部長であり内部通報の担当者であるEに対し、セクシャルハラスメントを受けている旨のメールを送信し、また、同月9日、経営政策統括部長であるD及びEとの面談の際、Bからセクシャルハラスメントを受けたことを報告したが、Eらからは「ちょっといいです。もう。ちょっとね。」と報告を止められ、その以上の聞き取りは行われなかった。
   その後も原告は、Eに対し、Bからセクシャルハラスメントを受けた旨のメールを繰り返し送信し、同年10月19日には「お待ちしています。お話聞いてください。」として再面談を求めるメールを送信したが、その間、Eによる再面談は行われておらず、この時点で本件会社が原告の心理的負荷を軽減するような適切かつ迅速な対応を行ったということはできない。
   さらに、本件会社は、同月24日以降、Eによる原告及びBとの各面談を実施し、調査結果の内容をまとめた書面を作成した上、対応策を検討しているものの、その検討状況等については、原告が同年12月16日に問い合わせるまでの間、「何をどう調査しているのか、何か注意をしたのか」も含め、原告に何も知らせていなかったのであって、原告を不安な状態に置いたままにしていたものである。
   そして、Eは、同月24日、原告に対し、Bに厳重注意を実施した旨のメールを送信しているが、その後も、パーテーションの設置や原告及びBの接触を回避するような措置も採らなかったものである。
   以上によれば、本件会社は、Bによるセクシャルハラスメントにつき、少なくとも原稿が認識し得る形で対応したことはなく、Bによる接触を回避する措置も採らなかったものであって、原告が精神障害を発病した平成28年1月上旬までの間、「適切かつ迅速に対応し発病前に解決した」ものということはできない。
   したがって、Bによる一連の行為は「胸や腰等への身体接触を含むセクシャルハラスメントであって、行為は継続していないが、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった又は会社への相談等の後に職場の人間関係が悪化した場合」に該当するのであって、これに、上記(2)アにおいて指摘した諸点も併せて考慮すると、その心理的負荷の評価は「強」となるものというべきである。
   したがって、原告の精神障害の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷があったと認められる。

(4)以上によれば、本件における原告の精神障害(うつ病)の発病は、認定基準の要件のいずれをも満たすから、認定基準上、原告の精神障害の発病が業務に起因するものと認められ、本件全証拠によっても、これを左右する事実関係は認められない。

(5)結論
   原稿の請求はいずれも理由がある(請求認容)。


 

大阪地裁令和元年5月15日判決(労働判例1203号5頁)

劇症型心筋炎の発症は、発症前12か月間、平均して1か月当たり約250時間の時間外労働を含む長時間労働に起因するものと認定し、不支給処分を取り消した事例(控訴審係属中)


【事案の概要】

(1)有限会社L(以下「本件会社」という。)の従業員であったAが、平成26年6月○日に死亡した(注:死亡に至る経緯については、大阪地裁令和2年2月21日判決の【事案の概要】参照。なお、以下、Aの各入院先を「D病院」及び「E病院」という。)。

(2)原告(注:Aの妻)は、Aの死亡が本件会社での業務に起因するものであるとして、大阪中央労働基準監督署長(以下「処分行政庁」という。)に対し、療養補償給付、遺族補償年金、葬祭料及び休業補償給付の各支給を申請したところ、処分行政庁は、平成26年12月5日及び同月8日、それぞれ不支給とする各処分を行なった(以下、「本件各処分」という。)。
   原告は、審査請求及び再審査請求を経た後の平成29年2月21日、被告(注:国)に対し、本件各処分の取消しを求めて、本訴訟を提起した。


【争点】

   劇症型心筋炎(以下「本件疾病」という。)発症の業務起因性の有無(Aの業務と本件疾病発症との因果関係[条件関係及び相当因果関係]の有無)
   以下、裁判所の判断の概要を示す。


   なお、被告の主張の骨子は、以下のとおりである。
 ア 「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」(以下「検討会報告書」という。)を基として作成された平成13年12月12日基発1063号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(以下「認定基準」という。)においては、外因であるウイルスによる感染症である急性心筋炎は、従来から、業務による過重負荷との認定基準の対象疾病としては想定されておらず、検討会報告書においても、ウイルスによる感染症である急性心筋炎を対象疾病とすべきとする根拠のある医学的な新知見はないと判断された。
 イ D病院入院時(平成24年11月24日)の血液検査の結果(略)については、いずれも正常範囲内であり、本件疾病発症当時、Aに免疫力の低下が存在したとは考え難い。
   仮にAに免疫力の低下があったとしても、医師の意見書によれば、本件疾病の発症が業務に起因するものということはできない。
  a)F病院F1医師の意見 略
  b)国立国際医療研究センターH医師の意見
   心筋炎発症に関する因子として、病原(ウイルス、細菌など)以外に個体因子(遺伝的背景、男女、年齢など)と環境因子(住居、職場、仕事内容、作業時間、睡眠時間など)が考えられているが、過重労働による疲労と睡眠不足などによる免疫動態の変化については、長時間労働や疲労・過労に関する科学的研究は非常に遅れており、特に疲労が免疫機能に与える影響はほとんど明らかになっていない。現状では、過重労働(長時間労働)や疲労・過労は免疫機能を抑制する可能性があるというものにとどまり、どの程度の労働時間数であれば、細菌やウイルスに対する免疫がどの程度低下するということを客観的に説明することはできない。
   c) 埼玉医科大学国際医療センター心臓内科N名誉教授の意見 略


【裁判所の判断】

(1)業務起因性に関する法的判断の枠組み
   労災保険法及び労働基準法に基づく保険給付は、労働者の業務上の疾病等に関して行われる(労災保険法7条1項1号参照)ところ、労働者災害補償保険制度(以下「労災保険制度」という。)は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質を考慮し、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が疾病にかかった場合には、使用者の過失の有無を問わずに労働者の損失を填補する、いわゆる危険責任の法理に基づく制度であることを踏まえると、労働者が「業務上」の疾病にかかった場合とは、労働者が業務に起因して疾病にかかった場合をいい、そのような場合に当たるというためには、業務と疾病との間に相当因果関係が認められなければならないと解すべきであり、業務と疾病との間の相当因果関係の有無は、その疾病が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。

(2)疲労の蓄積と免疫力の低下
   疲労の蓄積と免疫力の異常との関係について、以下の医学的知見が認められる。
  ①及び② 略
  ③D病院D1医師、職業病相談員S医師及び大阪労働局地方労災医員Y医師は、処分行政庁に対し、それぞれ疲労の蓄積によって免疫力の異常が生じることを前提とする意見を述べていること
  ④D1医師は、インフルエンザや肺炎が、老人、幼児や基礎疾患を有する人が感染しやすく、重篤化を来し、死に至る危険性が高いのは周知の事実であり、その理由は、免疫力が一般の健康な成人よりも低下しているためであることに触れながら、過労によって免疫力が低下すると、ウイルスを含めあらゆる感染症を発症しやすく、また病状の進行が速くなり、重篤化することは医学的にみても矛盾のない事実であると判断できるとの意見を述べていること
  ⑤略
  ⑥国立国際医療研究センターH医師は、心筋炎発症に関わる因子として個体因子(遺伝的背景、男女、年齢)のほか、と環境因子(住居、職場、仕事内容、作業時間、睡眠時間など)が考えられるとの指摘や、慢性疲労が、NK細胞の数の減少や活性の低下、リンパ球T細胞(CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞[(細胞傷害性T細胞)])の増加など、免疫系の異常と関連するとの研究報告に言及し、また、睡眠を1日5時間しかとることができなかった42例において、免疫担当細胞や免疫応答への影響を検討した結果によれば、NK細胞の数の減少や活性の低下等が観察され、睡眠不足によって、免疫担当細胞や免疫応答の異常が出現することが判明したと指摘していること
  ⑦略
   これらによると、疲労の蓄積によって、自然免疫機能の低下や獲得免疫機能の過剰といった、免疫力の異常が発生する結果、ウイルスに感染しやすく、また、感染症の症状が重篤化しやすい状態になること自体については、相応の医学的な裏付けがあると認めるのが相当である。
 イ なお、H医師は、長時間労働や疲労・過労に関する科学的研究は非常に遅れており、特に疲労が免疫機能に与える影響はほとんど明らかになっていないため、現状では、長時間労働や過労が免疫機能を抑制する可能性があるということができるにすぎない旨指摘している。しかしながら、同医師は、上記アのとおり、慢性疲労や睡眠不足と、NK細胞の数の減少や活性の低下、リンパ球T細胞の増加など、免疫系の異常との関連や、睡眠不足と免疫動態の変化を示唆していることからすると、同医師の意見は、時間外労働時間数が免疫力の異常に与える影響について医学的に解明されているとはいえないとしつも、疲労の蓄積によって免疫力に異常を来すこと自体を否定する趣旨ではないと理解することができ、H医師の上記指摘をもって、上記アで認定説示した点が覆されるとはいえない。

(3)Aの長時間労働と免疫力異常との関係
   Aは、平成23年11月30日から平成24年11月23日までの間(以下「本件期間」という。)において、平均して1か月当たり約250時間の時間外労働に従事していたと認められる。
   この点、確かに、H医師が指摘するとおり、「何時間の労働であれば、細菌やウイルスに対する免疫がどの程度低下するか」については、明らかでなく、Aの免疫力の低下を直接的に示すデータがあるとはいえない。しかしながら、認定基準においても、疲労の蓄積をもたらす最も重要な因子と考えられるのは、労働時間であり、その時間が長いほど、業務の過重性が増すとの指摘がなされているところ、上記のとおり、Aの時間外労働時間数は、認定基準によって、業務と虚血性心疾患等の対象疾病の発症との関連性が強いと評価できる時間(発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間の時間外労働)を、長期間にわたって大幅に超えるものであって、かかる長期間かつ長時間にわたる時間外労働に従事したことは、睡眠時間の極端な不足、極度の肉体的及び精神的負荷を生じさせ、もって、疲労の著しい蓄積をもたらしたものであると認められる。そして、上記(2)で認定説示のとおり、疲労の蓄積は免疫力の異常を生じさせるものということができるところ、本件のように長期間にわたって、極端に長時間の労働に従事することによって、疲労の著しい蓄積が生じていた場合には、それに応じて、Aの免疫力に著しい異常が生じていたものと認めるのが相当である。

(4)業務と心筋炎発症及びその劇症化との因果関係
 ア 上記認定事実によれば、以下の点が認められる。
  ①本件疾病は、ウイルス性のものであると考えられること
  ②ウイルスが心筋細胞に侵入した後、宿主は、自然免疫及び獲得免疫の反応によって、ウイルスを心筋細胞から排除するものの、自然免疫反応を担当する細胞が活性化されておらず、あるいは獲得免疫反応が過剰に作用するという状況において、心筋傷害や心筋細胞壊死を引き起こすなどして心筋炎を発症し、あるいは心筋炎が劇症化すること
  ③疲労の蓄積、慢性疲労や睡眠不足によって、NK細胞の数の減少や活性の低下、リンパ球T細胞(CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞)の増加など、免疫力の異常が生じること
  ④Aが、本件期間につき、平均して1か月当たり約250時間の時間外労働に従事し、極端な睡眠不足から、疲労を蓄積させ、免疫力の著しい異常を生じさせていたこと
   これらの点に加え、
  ⑤D病院D1医師は、(処分行政庁に対し)先行するウイルス感染がAの過労状態により自身の免疫力が低下していたことも影響し、心筋へと感染が拡大し、極度の疲労と免疫力低下が手伝って心筋炎が劇症化した旨の意見を述べていること
  ⑥GクリニックG1医師は、Aについて1か月当たり200時間の時間外労働による過労やストレスによって、免疫の低下した状態にあったため、ウイルスに対する防御能が低下して感染しやすくなり、感染後心筋を標的臓器として侵襲し、ウイルス性心筋炎を発症し、防御能の低下によって心筋炎が劇症化した旨の意見を述べていることをも併せ鑑みると、
   長期間にわたる、平均して1か月当たり約250時間の著しい時間外労働を含む長時間労働は、免疫力の著しい異常により、自然免疫反応の低下あるいは獲得免疫反応の過剰を来し、感染症を発症及び重篤化させて死亡に至る危険を内在するものであるということができ、本件疾病の発症、すなわち心筋炎の発症及びその劇症化は、Aの業務に内在する上記危険が現実化したものであると認められる。
 イ 被告は、医学的見地に照らすと、Aの業務と、心筋炎の発症及びその劇症化との間の因果関係が認められず、認定基準においても、外因であるウイルスによる感染症の急性心筋炎を対象疾病として想定すべきとする医学的な根拠、新知見はないと判断されたなどと主張し、H医師、N名誉教授及びF1医師の各意見書を提出する。
   確かに、免疫反応は複雑なシステムであり、病原体であるウイルスの活性、増殖するウイルスへの持続的感染、宿主の免疫による心筋細胞に対する持続的傷害がそれぞれ、心筋炎の発生及び劇症化にどのように影響を及ぼすのかといった点や、時間外労働時間数がどれほどの時間であれば、マクロファージ等自然免疫担当細胞の成熟化、活性化がどの程度妨げられ、NK細胞の数の減少や活性の低下がどの程度もたらされ、CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞の増加がどの程度生じるかといった点などの、詳細な内容が医学的に解明されているとは認められず、それゆえ、H医師、N名誉教授及びF1医師が述べるように、宿主であるAの遺伝的背景その他個体因子など、業務外の事情が、本件疾病の発症に作用した可能性を排除することはできない。
   しかしながら、上記アのとおり、本件疾病の発症、すなわち、心筋炎の発症及びその劇症化には、本件疾病の発症前12か月間もの長期にわたって、平均して1か月当たり約250時間の著しく長い時間外労働を含む長時間労働への従事という、免疫力に著しい異常を生じさせることの明らかな事情が作用したと考えられる一方で、かかる長時間労働以外に、本件疾病(心筋炎の発症及び劇症化)の発症に作用した可能性がある個別具体的な事情(例えば、Aの遺伝的背景等)の存在を認めるに足りる的確な証拠は認められないことからすると、業務外の事情が本件疾病の発症に作用した可能性は、具体的なものであるということはできない。したがって、H医師、N名誉教授及びF1医師らによる指摘内容は、労災保険制度の下において、本件におけるAに係る長時間労働と本件疾病発症との間の条件関係及び相当因果関係の存在を覆すものとはいえない。

(5)結論
   以上によれば、客観的にみて、本件疾病の発症は、Aに係る業務に内在する危険が現実化したものといえ、Aの長時間労働と本件疾病発症との間に因果関係(条件関係及び相当因果関係)があると認められる。したがって、本件疾病の発症は、業務に起因するものであると認めるのが相当である。
   以上の次第で、原告の被告に対する本件各請求はいずれも理由がある(請求認容)。


 

東京地裁平成31年4月26日判決(労働判例1207号56頁)

国・茂原労基署長(株式会社A)事件(確定)


【事案の概要】

(1)株式会社A(以下「本件会社」という。)は、平成25年7月25日に設立された株式会社であり、和洋食レストラン「〇〇」(以下「本件店舗」という。)の経営等を業とする。
   亡B(以下「被災者」という。昭和34年〇月生まれ)は、平成25年9月26日、本件会社との間で、雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結し、店長として調理業務に従事していた者である。
   原告は、被災者の配偶者である。

(2)被災者の本件店舗における労働条件、賃金等は次のとおりであった。なお、本件雇用契約は、口頭でされており、雇用契約書は作成されていない。
 ア 所定労働時間
   午前10時30分から午後10時30分までの8時間(そのうち午後2時30分から午後5時までの2時間30分は休憩時間であり、午後3時から午後5時までは店舗自体を閉店した〔ただし、土日祭日を除く。〕。)
 イ 支給賃金
   本件会社は、被災者に対し、平成25年11月26日から平成26年2月25日の間、次の名目で月額31万4100円の賃金等を支払った。なお、超過手当と深夜業手当とを合わせて以下「本件固定残業代」という。
   基本給 15万5000円
   役職手当 5万円
   超過手当 10万円
   深夜業手当 5000円
   通勤手当 4100円

(3)被災者は、平成26年3月〇日午後11時50分頃、自宅で倒れ、病院へ救急搬送されたが、翌〇日午前1時4分に直接死因「不整脈」により死亡した。

(4)原告は、平成26年9月4日、茂原労働基準監督署長(以下「監督署長」という。)に対し、被災者は加重労働等により死亡したとして、労災保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料を請求した。

(5)監督署長は、平成28年7月8日付けで被災者の死亡が業務上の死亡であると認定して、原告に対し、同月15日付けで、遺族補償年金及び葬祭料のそれぞれにつき、給付基礎日額を1万0243円として算出した給付額を支給する旨の各処分をした。その後、監督署長は、上記の各支給処分を取り消した上で、改めて給付基礎日額を1万2166円として算出した給付額を支給する旨の各処分をした。

(6)原告は、前記(5)の各処分に関し、給付基礎日額の算定に誤りがある旨主張して、千葉県労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)に対して、審査請求をしたところ、審査官は、上記の各支給処分を取り消した。そこで、監督署長は、平成29年2月22日付けで、改めて給付基礎日額を1万3330円として算出した給付額を支給する旨の各処分(以下「本件各処分」という。)をした。
   なお、 監督署長は、本件各処分における平均賃金及び給付基礎日額の計算において、①本件固定残業代を通常の労働時間の賃金(労基法37条1項参照)として算入せず、さらに、②本件固定残業代を基礎賃金から除外した上で、本件算定期間中の労働時間が別紙1「労働時間一覧表」(略)の「原告」の「実労働時間数」欄記載のとおりであることを前提として算出された割増賃金を算入した。

(7)原告は、本件各処分について給付基礎日額の算定に誤りがある旨主張して、審査官に対して、審査請求をした。しかし、審査官は、平成29年5月26日付けで、同審査請求を棄却する旨決定した。
   原告は、平成29年6月17日、本件訴えを提起した。 


【争点】

(1)本件固定残業代を通常の労働時間の賃金として算入すること及び割増賃金の基礎賃金に算入することの可否について、それら算入の前提として本件固定残業代が本件雇用契約の内容となっているか否か(争点1)
(2)割増賃金の算定基礎である本件算定期間中の労働時間数(争点2)
   以下、争点(1)についての裁判所の判断の概要を示す。


   なお、裁判所は、争点(2)についても、「事案に鑑み」検討し、以下のとおり判示した。
   本件算定期間中の労働時間については、被告が主張するとおり、別紙1「労働時間一覧表」(略)の「被告」の「実労働時間数」欄記載のとおりに認定するのが相当である。そうすると、本件各処分において、被災者の上記労働時間数を前提として時間外労働等の割増賃金を計算し、これを平均賃金の算定基礎とし、給付基礎日額を算定した点に誤りはないこととなる。 


【裁判所の判断】

(1)判断枠組み
 ア 遺族補償給付及び葬祭料は、いずれも給付基礎日額を算定の基礎として支給額が決定されるところ、給付基礎日額は、労基法12条の平均賃金に相当する額とするとされ(労災保険法8条1項)、給付基礎日額の算定に当たっては、診断によって業務上の疾病の発生が確定した日等が労基法12条1項所定の算定事由発生日とされている(労災保険法8条1項)。そして、平均賃金は、算定事由発生日以前三か月間にその労働者に対し支払われた賃金の総額をその期間の総日数で除した金額であり(労基法12条1項)、賃金は、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対価として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう(同法11条)。
 イ そうすると、「その労働者に対し支払われた賃金の総額」とは、労基法の適用を前提として、現実に既に支払われている賃金だけではなく、実際には支払われていないものであっても、算定事由発生日において、労基法の適用上支払われるべき既に債権として確定している賃金債権をも含まれると解される。よって、時間外労働、休日労働又は深夜労働(以下「時間外労働等」という。)が行われている場合には、同法37条所定の割増賃金も平均賃金の算定基礎に含まれることとなる。
 ウ そして、同法37条が時間外労働等について割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けている趣旨は、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する同法の機影を遵守させるとともに、労働者への補償を行おうとするものである。よって、割増賃金の算定方法が同条並びに政令及び厚生労働省令の関係規定(以下、これらの規定を「労基法37条等」という。)に具体的に定められているものの、同条は、労基法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるものと解され、労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではない。そこで、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより、同条の割増賃金の全部又は一部を支払うこともできる。そして、雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである(最高裁平成30年7月19日判決・日本ケミカル事件・労働判例1186号5頁等)。

(2)検討
 ア 本件雇用契約は、口頭でされたにすぎず、これを証する契約書は作成されていない。また、本件会社名義の就業規則及び賃金規程は、本件会社の設立日(平成25年7月25日)よりも前の平成22年11月1日にいずれも施行されているなどの問題があることから、その効力を認めることはできない。
   さらに、本件会社の実質的経営者であったC(以下「C社長」という。)が被災者に対して、本件雇用契約締結時において本件固定残業代と割増賃金の関係について説明したことも証拠上窺われない。
 イ 以上に対し、被告は、
  ・本件固定残業代(「超過手当」、「深夜残業手当」)の名称からすれば、社会通念上、超過手当が時間外労働に対する手当、深夜業手当が深夜労働に対する手当と認識するこができること
  ・賃金台帳及び給料明細書に基本給及び役職手当とは別に本件残業代が記載されていること
  ・本件会社は被災者に対して給料明細書を交付していること
  ・本件固定残業代が現に支払われていたこと
からすれば、本件会社及び被災者は、本件固定残業代が時間外労働等の対価として支払われていたことをそれぞれ認識していた旨主張する。
   しかし、被災者が、上記のとおり、雇用契約書も就業規則もなく、しかも、本件雇用契約締結時において、本件会社から本件固定塹壕代についての説明がなされたことは窺われない状況において、わずか4か月程度の給与明細書の交付と本件固定残業代の受領のみをもって、本件雇用契約の締結に当たり、本件固定残業代が時間外労働等に対する対価として支払われることについてその内容を理解した上で、応諾するに至ったことを推認することまではできず、その他これを認めるに足りる証拠はない。
 ウ また、被告は、超過手当10万円は約67時間の時間外労働に対する割増賃金に相当するところ、被災者と本件会社との間において、本件会社が被災者に対して前職の月給21万円(注:被告は、C社長が本件雇用契約の締結に先立って被災者の前職の給料を確認しており、基本給の金額について本件雇用契約(基本給と役職手当)と前職の雇用契約とでおおむね整合すると主張している。)の2倍以上にあたる月給約46万円を支払う旨の雇用契約が成立していたとは考えられないから、時間外労働の対価として本件固定残業代を支払う旨の合意があった旨主張する。
   しかし、具体の固定残業代について、それが雇用契約の内容となっていることが否定された以上は、使用者の雇用契約締結時に有していた意図等の如何にかかわらず、法律上通常の労働時間の賃金として組み入れざるを得ないのである。その意味で、本件固定残業代が通常の労働時間の賃金に組み入れられた場合の賃金水準の問題を指摘する被告の上記主張は失当であり、採用することができない。
 エ 本件雇用契約の契約当事者の合理的意思を推認するための基礎事情との観点からしても、被告は、上記のとおり、超過手当10万円は約67時間の時間外労働に対する割増賃金に相当することのほか、被災者の本件算定期間中の時間外労働時間数は約123時間ないし約141時間であることを主張する。しかし、その主張を前提としても、超過手当においてあらかじめ想定される時間外労働時間数(約67時間)と被災者の実際の時間外労働時間数(約123時間ないし約141時間)から窺われる勤務状況との間に約2倍もの大きな乖離が見られるところであり、この点はかえって本件雇用契約において本件固定残業代が時間外労働等に対する対価として支払われていないことを推認させるものである。
 オ 以上の事情を総合的に考慮すると、本件雇用契約において本件固定残業代が時間外労働等に対する対価として支払われているものとはされておらず、ひいては本件固定残業代が本件雇用契約の内容となってはいないこととなる。
 カ したがって、平均賃金の算定基礎においては、まず、本件固定残業代を通常の労働時間の賃金として算入し、さらに、本件固定残業代を基礎賃金に含めた上で算出した割増賃金をも算入することになる。しかるに、監督署長は、これらの算入処理をすることなく、平均賃金及び給付基礎日額を算出し、これを前提として本件各処分をしている。よって、本件各処分には、平均賃金、ひいては給付基礎日額の算定の誤りがあるから違法であって取消しを免れない。

(3)結論
   本件各処分をいずれも取り消す。