東京都美術館ー2025.5.18

ミロ展(会期:2025.3.1-7.6)

ミロ(Joan Miro)の芸術を、初期から晩年までの傑作を通じて創作の軌跡を辿る回顧展です。

第1章 若きミロ 芸術への決意

ミロが芸術家を志した頃の初期作品から、1918年にバルセロナのダルマウ画廊で開催された初の個展で展示された作品群(風景画と静物画)、そして、1920年にパリで初めて知遇を得たピカソに贈られた2作品である「自画像」(1919年)と「スペインの踊り子」(1921年)が展示されていました。ピカソに贈られた2作品は、いずれも深紅の衣装を纏った人物が描かれており、観る者に強烈な印象を与えます。

第2章 モンロッチーパリ 田園地帯から前衛の都へ

ミロは、1922年にパリのアトリエに移転して以降、当地の先進的な文化人との邂逅を重ねることで、自らの芸術中にシュールレアリズムを発展させていき、1925年以降、自ら「絵画=詩」と呼んだ一連の作品や、下地処理のない目の粗いカンヴァスに直接、油彩を施す主張で作られた数々の作品を制作しました。これらの作品は、「夢の絵画」と呼ばれており、鑑賞する私たちを、抽象と具象の交差した「白昼夢」の世界に誘うようでした。

第3章 逃避と詩情 戦争の時代を背景に

ミロは、スペイン内戦の結果誕生した軍事独裁政権からの政治的迫害のおそれから、フランスから帰国できなくなったところ、1939年9月のナチス・ドイツのポーランド侵攻を契機として、ノルマンディー地方のヴァランジュヴェル=シュル=メールに転居しました。しかし、1940年5月にはドイツ軍がフランスへの侵攻を開始したため、ミロは、独裁政権下のスペインに帰国することとし、同年7月末、マジョルカ島のパルマを拠点して、制作活動を継続しました。23×46㎝の紙にグワッシュで描かれた全23点の「星座」シリーズ(1940年)は、この時期に制作されたものであり、戦争の恐怖を背景として、女、鳥そして星のモチーフが、自由への憧れを音楽的なリズムで表すように配置されています。

第4章 夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ

ミロは、1956年にパルマ・デ・マジョルカに移住し、以降、「ソン・アブリナス」と「ソン・ボテール」の2つのアトリエを拠点に、絵画のほか、彫刻、オブジェ制作等、様々な創作活動を行いました。1960年に制作された5連作の絵画の一つである「絵画Ⅱ/Ⅴ」(1960年)は、白地の背景に漆黒の二筋の筆の跡が、その飛沫もろとも描かれた作品であり、書画あるいは水墨画を連想させました。

第5章 絵画の本質に向かって

1960年代以降、ミロの表現行為は、伝統的な絵画の枠組みを逸脱していきます。パルマ・デ・マジョルカの2つのアトリエで制作された三連画の一つである「花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」(1974年)は、前述の「絵画Ⅱ/Ⅴ」(1960年)と同様、白地の背景に漆黒の絵具が滴り落ちる作品ですが、各292×195cmとカンバスは巨大化しています。他方で、ミロは、数々の円熟期の絵画作品を残しています。下記の作例は、この時期のミロの代表作である「涙の微笑み」(1973年)です。