国立西洋美術館ー2025.1.4

モネ 睡蓮のとき(会期:2024.10.5-2025.2.11)

マルモッタン・モネ美術館所蔵の48点の絵画を中心に、クロード・モネ(Claude Monet)の水の風景を主題とする最初期から最晩年までの作例を展示する展覧会です。

1 概要

「1 セーヌ河から睡蓮の池へ」、「2 水と花々の装飾」、「3 大装飾画への道」、「4 交響する色彩」及び「エピローグ さかさまの世界」の5部構成で、オランジェリー美術館に展示されている大装飾画の制作過程を中心として、モネの晩年以降の画業を振り返ります。

1 セーヌ河から睡蓮の池へ
モネは、1897年頃、初めて睡蓮を主題とした作品を制作しました。モネは、1902年にジヴェルニーの池の拡張工事を終え、1905年5月にデュラン=リュエル画廊にて開催された個展である「睡蓮、水の風景連作」で、1903年から1908年までに制作された睡蓮の連作のうち48点を披露しました。1914年以降、モネは、再び睡蓮の主題に取り組みました。
下記の作例は、本展覧会にも展示された、国立西洋美術館所蔵の「舟遊び」(1887年)で、池の反映を描いた点で、「睡蓮」連作の先駆的作品といえます。

2 水と花々の装飾
モネは、1920年9月27日、フランス政府との間で、装飾パネルを寄贈し、その展示用の美術館をオテル・ビロンの敷地内に建築することを合意しました。しかし、財政上の問題等から、美術館建築の合意は白紙に戻され、チェルリー公園内の建物を転用することとなりました。この建物こそが、現在のオランジェリー美術館です。モネは、展示用の装飾パネルの制作過程で、当初の計画では予定されていた藤の花のフリーズの設置を断念し、また、習作で描かれていたアガパンサスの花を消去する変更を行いました。

3 大装飾画への道
モネは、白内障による色覚異常を抱えつつ、10年以上の歳月をかけて、オランジェリー美術館に飾られた、22枚の装飾パネルを完成させました。オランジェリー美術館は、以下の2つの楕円形の部屋で構成されています。

・第1室 雲、緑の反映、朝、日没
・第2室 柳のある部屋、二本の柳、柳のある明るい朝、木々の反映

下記の作例は、第1室の「緑の反映」に結びつけられる、「睡蓮」(1916年)です。水面に映る柳の枝が、カンヴァスの下から上へと伸びています。なお、本作例は、松方幸次郎が、1921年にモネから直接購入したものであり、現在、国立西洋美術館が所蔵しています。

下記の作例は、第2室の「柳のある朝」に結びつけられる、「睡蓮」(1916-1919年頃)です。ピンク色の睡蓮の花とともに雲の反映が描かれており、全体として明るい色調の作例です。

4 交響する色彩

  オランジェリー美術館の大装飾画は、モネの死去の翌年である1927年5月に漸く公開されましたが、モネの感覚主義的なスタイルが当時の美術界のトレンドに合わなかったため、評判は必ずしも芳しくありませんでした。しかし、1949年にスイスのバーゼルで開かれた「印象派」展に、モネの晩年の作品が展示されたことを契機として、モネの最晩年の作品が再評価されるようになりました。その背景には、当時、アメリカにおいて抽象表現主義が席巻していたことがあります。時代の変化が、モネに追いついたといえるでしょう。本展覧会の展示作品である「ばらの庭から見た家」(1922-1924年頃)では、主題であるはずの家は、形象をとどめずに、ピンク色の筆跡に要約されており、青と緑と白の色彩の渦巻く世界に飲み込まれているようです。

エピローグ さかさまの世界
この区画では、第2室の「柳のある朝」に結びつけられる、「枝垂れ柳と睡蓮の池」と「睡蓮」(いずれも、1916-1919年頃)が展示されていました。「さかさまの世界」のタイトルのとおり、これらの作例では、上から伸びてきた柳の枝が水面に反映して、下へと伸びていくように描かれていました。

第2 雑感

モネが残した最晩年の作品群は、まさに色彩の爆発であり、カラフルな毛糸の織物を思わるものでした。積みわらやルーアン大聖堂の連作のような、ゆったりとした雰囲気の風景画が有名なモネが、その晩年、オランジェリー美術館の大装飾画の制作の一方で、激しい感情のほとばしる作品群を制作していたことに驚かされました。